くまの朝礼|自分は意思が弱い。だからこそ大切にする『一線』がある。

▲昨日の夜ごはんはタンタン(TANDI GA TANDI)♪鳥レバー旨すぎやしませんか。

人が生きていく上で大切にしなきゃいけない一線かある、と考えた事を話したいと思うんですけれど、

まず前提として、私自身もすごく流されやすい部分があります。

それは周りに話を合わせてしまうような「人」に対してもそうだし、

〜したいっていう「欲」についてもそう。

誰しも自分の意思の「弱っ」って感じることがあると思うんですけど、

そういう時すごく焦りませんか?「なんで自分はいつもこうなんだろう」って。

私も最近そういう時があって、自分の心に耳を澄ませてみました。その時、「私はこうしたい」という欲とは別の、自分の意見は確かに心にあったんです。ただそのイメージと現実とのギャップに急に不安を感じてしまって、さらに弱々になって、意思を心の中にしまい込んでしまいそうでした。

けれど最近沢山の方と出会い感じるのは、

自分の意思は人に伝えていかないと強くなっていかないという事です。

心の中にしまい込んでしまっていては、

近いうちに、その多くは自分の意思ではなくなって消えていってしまうのだと思います。

さらに悪いことに、しまい込んだモヤモヤだけが募って、どかんと爆発してしまったり。

だからと言って意見を言わなきゃ!と焦る前に、人に伝えなかった、意思表示なんてしなくて良い、と思ったのも私自身。それもその時の精一杯の意思だから認めてあげたい。

時々自分の意思を他人に伝える事が迷惑だと思ってしまうことすらあるのですが、意思や意見がどうのこうのって私はそうは思わないから。むしろ考えを伝えてくれたら嬉しいし、自分の考えを深めることができるし。

自分も人で他人も人。

自分も他人も人であるという点では平等なんです。他人に否定しないことは、自分にも否定しない。

その一線、私も、誰であっても、めちゃくちゃ大切なことじゃないかなぁと思いました。

正直、無理!人に合わせちゃった方が楽!って思うこともあるけど、自分を大切にできた分だけ、人のことも大切にできると思ってやっていきたいなぁと思います。

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