
皆さん、こんにちは!Bear’s CoffeeのMiccko(みっこ)です。
こちらのBlogコーナーでは私が日々感じたことや考えていることを、何が答えだとか、こうしたほうが良いとか結論を求めることはなく、思うがままに綴っていきます。
ワタシも人から思われる以上に、未完成の、穴だらけの、作りかけ人間なんです。
ある日、
「私、寝かしつけが苦手なんです。」
そんなママさんのお話を聞いていた。
私はふと、やなせたかしさんの『手のひらを太陽に』を思い出した。
ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に透かしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮
みみずだって、おけらだって、あめんぼだって、
みんなみんな生きているんだ、友達なんだ。
「寝てくれない」
「食べてくれない」
一人の人間を育てているという責任。
大好きな君へ、その命の重みを日々感じているからこそ
焦る気持ちがあります。
自分の理想とは裏腹に、自分の中に湧き起こる感情があって、
あなたのことは大好きなはずなのに、怒りをぶつけたくなることだってあります。
ただひたすら、
「どうにか、この子を大切にしなきゃ」って。
でも残念ながら、
親であっても、先生であっても、
その子と関わる何者かであっても、
全ての大人にできるのは、
その子と『共に暮らす』ということだけ。
共に学び、
共に寝食を過ごし、
共に夢を語り合う、
ただそれだけ。
どうしてもその子を怒りたくなったり、怒りたくなった自分を責めたくなったら、
私はこのことを思い出すことにしています。
なぜそう思うようになったのかって?
ある日、
ベビーシッターとして出会った「生まれて数年もないあの子」が、
訳のわからないことでとても腹を立てていたことがありました。
介護士として出会った「人生80年を過ごしたあのご婦人」が、
何かが気に入らなかったようで、私の言葉を一切聞いていただけないことがありました。
なんとかしなきゃ、というプレッシャーで焦る気持ち。
でも何をしても、より怒らせてしまうばかり。
そのうちに私の心も怒りを纏い、その場が悲しみと緊張感で満たされてしまいました。
でも、ふと気づいたんです、
その背中がとても温かいことに。
私も赤ちゃんもご婦人も、
神でも鬼でもなく、
みんなただの人間。
どんなおこりんぼうでも
すねすねまんも
あまのじゃくも
ろくでなしであっても、
みんな背中に血が流れていること。
そして、その背中は死ぬまでずっと温かいのです。
人は一生、ずっと未完成。
残念ながら、完璧な人間になんてなれる日はこない。
でも、
だから、
人は一生を懸けて「ワタシらしさ」を探すのだと思います。
長い人生の中で、知らないことも、わけ分からないことともたくさん出会って、
『ワタシ』っていうものが何度も揺らいで、
そうやって死ぬまで、気の遠くなる小さな苦労を繰り返して、その子も『ジブン』を創っていくのだと思います。
そう、
途中まではママパパの傍で、
途中からは自分の力で。
そしてなぜ怒っているのか、食べないのか、寝ないのか、
それはきちんとその子の身体や脳の中にある。
今は言葉にはできないけど、今は気持ちの整理がつかないけど。
そうやってその子も試行錯誤しながら、
自分の心と身体を、自分でコントロールできるように頑張っているのだと
私は考えています。
いつかその子が自分の言葉で、
自分の感情や行動が説明できるようになる日は
案外、そう遠くはないのが
どうしようもなく愛おしいのです。
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